メルマガ 2016年10月号

目次

固定残業代を有効とした裁判例

1.固定残業代を有効として原告の請求(残業代として約700万円)を棄却した裁判例

トラック運転手に対し、運行コースごとに金額が定められた各種割増手当として、残業代(固定残業代)を支払っていた事案において、固定残業代を有効と判断した裁判例をご紹介します。

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【判例】
事件名:富士運輸事件
判決日:東京高判平成27年12月24日(千葉地判平成26年12月25日)

【事案の概要】
トラック運転手aは、Y社が行う集団就職説明会に参加し、業務内容等の説明を受け、契約社員として勤務を開始した後、正社員となった。
労働契約書上、aの給与は次のとおり、定められていた。
給与〔1〕基本給 8万円
    〔2〕皆勤手当 1万円
    〔3〕運行勤務手当
       長距離:概ね2000円~6000円×運行回数
       地場:概ね1000円~4000円×運行回数
    〔4〕その他の手当
       仕事や状態によって待機手当,加算手当,空車回送手当等が支給される。
賃金規程においては、次の定めがあった。
第3条(賃金体系)
  従業員の賃金は次のとおりとする。
〔1〕歩合給の運転手
基本給
歩合給(運行手当)
諸手当 通勤手当,横持手当,待機手当,空車回送手当,宵積み手当,皆勤手当,助手手当,フォロー手当,その他臨時業務に応じた手当を支給する。
割増賃金 各種割増手当,休日勤務手当

第20条(割増賃金)
1 所定労働時間を超える勤務,休日勤務及び深夜勤務(以下「超過勤務等」という)については,次の算式に従い割増賃金を支給する。
(1)月によって定められた賃金の部分
(基本給+諸手当)/(月平均所定労働時間)×1.25×時間外・休日労働時間数
(基本給+諸手当)/(月平均所定労働時間)×0.25×深夜労働時間数
(2)歩合給の部分
運行手当/当月歩合給にかかる総労働時間×0.25×時間外・休日・深夜労働時間数
 ただし,休日勤務が法定休日における場合は,1.25は1.35に,0.25は0.35に読み替えて算出する。

2 各種割増手当と休日出勤手当の合計額は,前項の算式により算出した割増賃金以上の額とする。

しかし、aは、賃金規程を定めた就業規則は周知されておらず、割増賃金の算定方法について説明もされていないので、a・Y間で割増賃金に関する合意はない以上、割増賃金の算定基礎となる賃金は、皆勤手当、待機手当等を含んだ一切の手当を合計した額であるとして、Y社に対して、未払い割増賃金の支払を求めた。 

【判旨(「」内は判旨の一部抜粋。一部省略し、下線部は適宜追記しております。)】

 1 aとYとの間の割増賃金に関する合意の有無と内容について

裁判所は、各種割増手当について、

「被控訴人は,トラック運転手の賃金に関して,荷主,積み地,降ろし地等によって定まる運行コースごとに,その走行距離等の内容に応じて,歩合給である運行手当の金額と,割増賃金である各種割増手当の金額を定めている(乙11)。各種割増手当については,賃金規程に定める割増賃金の算式(その具体的内容は,前提事実(4)アの平成22年版賃金規程第20条1項及び同イの平成23年版賃金規程第21条1項のとおり。)で算定される金額を下回らないように,長距離のコースであれば,深夜運行がほとんどであることから,深夜勤務を前提として,金額が設定されていた」と認定した。

裁判所は、Yからaに、割増賃金の算定方法の説明がされていたか否かについて

「aは,被控訴人に雇用されるに先だち,被控訴人のc支店において,集団就職説明会及び被控訴人本社総務部職員による説明を受けており,これらの説明において,被控訴人の就業規則及び賃金規程に定める割増賃金を含む賃金体系に関する説明がされていること,aは,以上の説明を受けた後,労働条件のうち給与について,〔1〕基本給,〔2〕皆勤手当,〔3〕運行勤務手当,〔4〕その他の手当の4種類のものと,その他の手当の具体的内容として,宵積み手当,横持手当,待機手当,加算手当,助手手当,空車回送手当,その他諸手当,事務所手当,安全推進手当,携帯電話手当及び正月手当の11種類の手当が記載され,また,所定外労働等について,「所定外労働に対する賃金として各種割増手当を支給する。」と記載された本件労働契約書を作成して被控訴人に雇用されたことが認められる。以上の事実によると,被控訴人とaとの間には,時間外労働に対して各種割増賃金手当と称する割増賃金が支払われることが労働契約の内容になっており,aにおいても,そのことを上記説明及び本件労働契約書の記載内容から認識し了解していたものと認められる。」

「aが被控訴人に雇用された際、被控訴人には就業規則及び賃金規程が定められていたところ,aは,被控訴人に雇用されるに先立ち,被控訴人から就業規則及び賃金規程に定める割増賃金を含む賃金体系についての説明を受けていること(前記認定事実(1)),aは,被控訴人に就業規則及び賃金規程があることを知っていたこと(原審におけるa本人尋問),aは,就業規則及び賃金規程に定める賃金体系の下で就労し,給与の支給を受けていたこと(前記認定事実(4)),aは,被控訴人に就労していた間に,被控訴人作成の給与支給明細書に記載されている手当が不足していることを指摘したことがあったこと(前記認定事実(4))を併せ鑑みると,aは就業規則及び賃金規程に定める賃金体系を受容して就労していたとみることができるのであり,本件請求期間における割増賃金を含む賃金に係る労働契約の内容は,その当時定められていた平成19年版就業規則及び平成22年版賃金規程に定めるものであると解するのが相当である。」と認定した。

  

 そして、裁判所は、就業規則が周知されていたかについて、

「〔2〕の点については,前記認定事実(1)で認定した事実関係によれば,aは,被控訴人に雇用されるに当たって被控訴人から就業規則及び賃金規程の内容に関する説明を受けていること,また,前記認定事実(7)によれば,被控訴人の就業規則及び賃金規程は,一時期を除き,トラック運転手の出入りが制限されていないc支店の事務室にある無施錠のキャビネット内に備え付けられており,それらのコピーを取得することもできる状況であったことがそれぞれ認められ,就業規則等は周知できる状態で備え付けられていたといえることに照らすと,〔2〕の主張に沿うaの陳述等もにわかに採用することができ」ないとして、a・Y社間には割増賃金に関する合意が存在したと判断した。

 

 2 未払割増賃金の有無について

裁判所は、割増賃金の算定基礎となる賃金に諸手当がふくまれるかについて、各手当ごとに固定給か、歩合給か、除外賃金か等を検討し、各種割増手当については、
「前提事実(2)及び(4)によれば,上記各手当のうちの各種割増手当は,時間外勤務に対する割増賃金の支給であることが認められる。」
と認定した。

 また、aが、各種割増手当の支給が合理性がないものであり、労基法37条に違反する旨主張したのに対し、裁判所は、

「同手当の支給額は,運行コースごとにその走行距離等の内容に応じて決まっているが,その額は,賃金規程が定める算定方法(前提事実(4)のアの第20条ないし同イの第21条)により算定された額を超える金額として決められている額であることが認められ,同手当の支給は,控訴人が主張するような固定割増賃金を支払うものには当たらないというべきである。次に,同手当の支給額の決定方法は,上記の賃金規程の定めに照らすと,労基法37条に規定する割増賃金の算定方法と軌を一にするものであるということができ,また,その算定方法によって算定される額を超える金額を支給するものであるから,そのような金額の同手当を支給するとしていることが直ちに同条の趣旨に反するものということはできないし,上記の賃金規程が定める算定方式を基にして,各月の支給された同手当の額と同条に規定する算定方法で算定される割増賃金の額との多寡を確認することもできるものである。そして,仮に同手当の支給額が同条に規定する算定方法で算定される割増賃金の額を下回る場合には,被控訴人は,同条に基づいて,その差額を支払う義務が当然に生じることになるのであるから,同手当を割増賃金として支払うこととしている被控訴人の賃金体系自体が同条の趣旨に反するということはできない。
 また,控訴人の上記主張のうち,被控訴人の賃金体系が基本給及び歩合給の合計額よりも各種割増手当及び加算手当の合計額の方が大きいものであることを理由として合理性を欠くという主張及び被控訴人の賃金体系が100時間以上の時間外労働を恒常化させるものであることを理由として被控訴人の賃金体系が労基法37条の趣旨に反するという主張については,割増賃金に関する規定以外の労基法の規定や他の労働関係法令との関係で問題となり得る可能性があることはともかく,aが支払を受けていない割増賃金があるかどうかの判断に直接影響を及ぼす主張ではない。
 したがって,控訴人の上記主張は,前提を欠くもの又は失当なものであり,採用することができない。
(4)以上説示したこと並びに証拠(甲3,9,乙16,18)及び弁論の全趣旨により認められるaの本件請求期間における労働時間,支給された給与の具体的内容等に基づいてaの割増賃金を算定すると,本判決別紙2のとおりであり,同別紙の各月の「A+B+C+D」欄の「割増合計」欄に記載している金額が,各月の時間外労働等に係る割増賃金の合計額である。
 他方,証拠(甲3,9)及び弁論の全趣旨によれば,被控訴人がaに支払った本件請求期間における割増賃金の額は,同別紙の各月の「各種割増(実際)」欄記載の金額であることが認められる。
 以上によれば,本件請求期間における各月の「各種割増(実際)」欄記載の各金額は,いずれの月も,対応する各月の「割増合計」欄記載の各金額を上回っているから,本件請求期間におけるaに対する未払の割増賃金はないことが認められる。」

 と判断し、aの請求を棄却した。

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【コメント】

本裁判例は、トラック運転手に対し、運行コースごとに定められていた固定残業代の有効性を認めたものであり、使用者に有利な判断をしたといえます。

近時の裁判例の傾向としては、固定残業代に対して厳しい判断をするものが多く、中には、固定残業代が時間外労働の限度基準の45時間を超えていることや、固定残業代の時間数を明示していないことを無効の一要素としていると思われるものもあります。そのような裁判例に対し、本裁判例は、賃金体系として100時間以上の時間外労働を恒常化させるとの原告の主張を、「割増賃金に関する規定以外の労基法の規定や他の労働関係法令との関係で問題となり得る可能性があることはともかく,aが支払を受けていない割増賃金があるかどうかの判断に直接影響を及ぼす主張ではない。」として退けている点も注目されます。

また、歩合給を採用している場合、固定残業代の設定には難しい面がありますが、本裁判例は、固定給と歩合給を併用しているケースにおいて、固定残業代を肯定した事案としても注目されます。

なお、本裁判例の事案においては、給与に関して、就職説明会における説明、入社希望者に対する給与体系についての説明をした上で、毎月、給与支払明細書とともに、固定残業代の金額等が記載された運行報告書のコピーを交付するなど、丁寧な対応が取られていた点も参考にすべきと考えられます。

出勤命令とバックペイ(その2)

2.出勤命令を出したがバックペイの支払を免れず、約200万円の支払が命じられた裁判例

解雇が争われており、使用者が出社命令(出勤命令)を出したが、民法536条2項の規定により、労働者が賃金債権を失わないと判断した裁判例について、ご紹介します。

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【判例】
事件名:ショウ・コーポレーション事件
判決日:東京地判平成24年9月5日

【事案の概要】
自動車教習所において勤務していた教習指導員であった原告らは、被告が同一条件で原告らを雇用して、勤務させる旨の合意があったとして、前訴において、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認、及び前訴判決確定の日までの賃金支払を求め、前訴の控訴審判決の主文においては

「〔1〕原告A(以下「原告A」という。)及び原告Bが,被告に対し,それぞれ労働契約上の権利を有する地位にあることを確認するとともに,
〔2〕被告は,原告Aに対し,平成20年4月から同判決確定に至るまで毎月28日限り35万7200円を支払うべきこと,
〔3〕原告Bに対し,平成20年4月から同判決確定に至るまで毎月28日限り33万7700円を支払うべきこと」

等が命じられ(以下「前訴確定判決」という。)、最高裁判所において上告棄却及び上告不受理の決定がされたことにより確定した(なお、原告Aは、前訴の口頭弁論終結日の後に満60歳となり、同月末日をもって定年に達した。)。

被告は、平成24年3月12日付けの文書により、原告Bに対し、遅くとも同月16日までに秦野校に出社するよう命じた(以下「本件出社命令」という。)。

これに対し、原告Bは、同月15日付けの文書により、職場復帰に際しては勤務条件等について具体的に定める必要があるため、団体交渉の席につくとともに、職場復帰の条件について具体的に話し合うことを求める旨を被告に回答した。

被告は、平成24年3月26日付けの通知書により、原告Bに対し、解雇の意思表示をした(以下、この意思表示よる解雇を「本件解雇」という。)。本件解雇の通知書には、解雇理由として、原告Bが前訴判決確定後、被告に出社し就労したことがないこと、その期間が引き続き5日以上に及び、また、2か月を通算して10日以上に及んでいることが挙げられている。

原告らは、被告に対し、前訴の判決確定日以降の賃金の支払を求め、原告Bは、被告に対し,労働契約上の権利を有する地位にあることの確認をも求めた事案である。

【判旨(「」内は判旨の一部抜粋。一部省略し、下線部は適宜追記しております。)】

裁判所は、前期確定判決後の賃金請求県について、

「本件においては,前訴確定判決により,原告らが被告に対し雇用契約上の権利を有している等の判断が確定しているところ,前訴判決確定日以降,原告らが被告において現実に就労した事実のないことは当事者間に争いがないことから,以下では,原告らの就労債務が被告の責めに帰すべき事由により履行不能となったものと認められるか否か(民法536条2項)について検討する。」としたうえで、

「まず,被告の就労拒否の有無について検討すると,前記前提事実のとおり,被告は,…前訴が提起されて以来,前訴が最高裁判所において確定する…まで,6年以上にわたり,原告らが被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを争っていたものであるから,その間,原告らの就労を拒否する意思を明らかにしていたものと認めることができる。そうした経緯の中,原告らの所属する組合は,…再三にわたり,被告に対し,原告らの職場復帰の際の労働条件の決定を主たる団体交渉事項として,団体交渉の申入れを行ってきたものであるが,…被告が甲22通知書によって応答するまでの間については,前訴係属中と同様,被告は,原告らの就労債務の受領を拒否する意思を明らかにしていたものと認めるのが相当である。…そうすると,被告が就労債務の受領を拒否する意思を明らかにしている以上,被告が甲22通知書によって応答するまでの期間については,原告らの就労債務は,被告の責めに帰すべき事由によって消滅したものと言うほかはない。」

と被告の就労拒否の態度を認定し、被告が原告Bに就労を求めた以降についても
「次に,被告が甲22通知書によって応答した以降について検討する…。言うまでもなく,労働契約に基づく労働者の就労債務は,その履行のために,債権者である使用者の行為(就労場所・日時の指定,就労すべき業務の指定等)を要するものであるから(民法493条参照)、使用者がそうした行為をしない場合には,労働者の就労債務は履行不能により消滅することになる。これを本件について見ると,甲22通知書によって組合の団体交渉申入れに対し初めて応答した後も,被告が団体交渉の場等において具体的な勤務条件等を提示した事実は認められず,原告Bの就労実現に向けられた行為としては,唯一,原告Bに対し本件出社命令を発した行為が存するのみである。
 しかしながら,…被告は,長期間にわたり原告Bの就労を拒否する意思を明らかにしてきたという経緯がある上,前訴判決確定後の賃金が未払であるという問題があること等からすれば,原告Bの就労の前提となる被告の行為としては,原告Bの被告における処遇を明らかにした上で,原告Bの勤務条件全般について合理的な提示(なお,本件において,被告は,被告Bについても自社の給与規程に則った賃金とすべきことを強調しているが,前訴確定判決の認定額を下回る賃金額の提示をすることが許されないことは言うまでもない。)をすることが求められるものと解され,単に,本件出社命令によって日時と場所を指定して出社を命ずるだけでは足りないと言うべきである。 
 そうすると,被告が就労の前提となる行為をしない以上,それにより原告Bの就労債務は履行不能により消滅したものと言うほかはなく,他方で,被告が,原告Bに対し合理的な勤務条件の提示をすること自体は容易なことであるから,被告には帰責事由があると言うべきである。…以上によれば,原告らの就労債務は,被告の責めに帰すべき事由によって履行不能となったものと認められるから,民法536条2項本文の規定により,原告らは,現実の就労の事実の有無にかかわらず,賃金債権を失わないものと解される。」

と判断した。
そして、原告Bの解雇理由の有無の判断の中においても、
「本件において,原告Bの就労債務の履行の前提となる被告の行為としては,本件出社命令によって日時と場所を指定して出社を命ずるだけでは足りず,被告において,原告Bの勤務条件全般について合理的な提示をすることが求められるものと解されるところ,被告がそうした提示をした事実は認められないから,原告Bは,就労債務の履行の提供として,現実に被告に出社して現実の提供をする必要はなく,口頭による提供をすれば足りると言うべきである(民法493条)。そして,原告Bないし組合が,原告らの職場復帰の際の労働条件の決定を主たる交渉事項として団体交渉の申入れを継続的に行っていたこと…から,原告Bは,口頭により就労債務の提供をしていたものと認めることができる。
…これに対し,被告は,原告Bには真摯な就労意思や交渉意思が認められない旨を主張するが,この点に関する被告の主張を採用できないことは前記1(4)において判示したとおりである。また,被告は,原告Bが現実的でない団体交渉の申入れを行えば,就労しないまま半永久的に賃金を得ることになって不当である旨の主張をするが,ここで問題とされているのは,被告自身が,原告Bの就労の前提として尽くすべき行為を尽くしたものと認められるか否かであって,原告Bとの間で勤務条件等についての協議が調うか否かではないから,被告の主張はその前提において失当であって,採用の限りではない。」

と判断したうえで、本件解雇を無効とした。

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【コメント】

前回のメルマガでは解雇の有効性が争われている事案において、就労命令に理由なく従わなかったことから、その後の賃金請求権の発生を否定した裁判例をご紹介しました。

他方、本判決は、会社側が就労の前提となる行為をしない以上就労債務は履行不能により消滅し、会社側に帰責性があるとして、民法536条2項の適用を認め、バックペイの支払を命じています。このように、バックペイに関しては、出勤命令の出し方により、結論が異なる可能性があります。

LGBTに対する対応

3.性同一性障害の従業員の解雇が無効であるとして、月額22万円の賃金の仮払いが命じられた裁判例

近年、LGBTないしセクシュアル・マイノリティに関する関心が高まっています。今回は、女性の服装等で出勤した性同一性障害の従業員に対する解雇を無効と判断した仮処分の裁判例についてご紹介します。以下では、裁判例のうち、関連する部分のみをご紹介します。

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【判例】
事件名:S社性同一性障害者解雇事件
判決日:東京地決平成14年6月20日

【事案の概要】
S社は労働者に対し、製作部製作課への配置転換を内示したところ、労働者から、
「自分を女性として認めてほしい,具体的には,
〔1〕女性の服装で勤務したい,
〔2〕女性トイレを使用したい,
〔3〕女性更衣室を使いたい」

旨の申出があった。その後、S社は、労働者に対し、本件配転命令及び本件申出を承認しない旨の通知書をそれぞれ発した。

その後、労働者は、女性の服装、化粧等(以下「女性の容姿」という。)をして出社し、配転先である製作部製作課において在席したが、しばらくしてS社から自宅待機を命じられ、その後も、S社は、女性の容姿をして出社してきた労働者に対し、

「・・・1 女性風の服装またはアクセサリーを身につけたり,または女性風の化粧をしたりしないこと。
2 明日は,服装を正し,始業時間前に出社すること。なお,今後も貴殿が上記命令に従わない場合には,当社就業規則に基づき厳重なる処分をすることとなりますので,その旨付記します。」
などと記載された通知書を発し、自宅待機を命じた。

その後も労働者は、以後4月17日までの各勤務日において、女性の容姿をして出社したが、その都度、S社から本件服務命令違反を理由に自宅待機を命じられ、その後、就労しなかった。

S社は労働者を懲戒解雇したが、労働者の懲戒解雇通知書には、懲戒事由として、「・・・〔5〕業務命令(女装で出勤しないこと等)に全く従わなかったこと」などが記載されていた。
労働者は、懲戒解雇が無効であるとして、地位保全及び賃金、賞与の仮払いを求めた。

【判旨(「」内は判旨の一部抜粋。「債権者」を「労働者」、「債務者」を「S社」と修正しています。また、一部省略し、下線部は適宜追記しております。)】

「労働者が,3月5日から4月17日までの出勤日,S社から本件服務命令によりS社から女性の容姿をすることを禁止されていたが,これに従わずに女性の容姿をして出社し続け,その都度,S社から自宅待機を命じられたことは,・・・のとおりである。」
「たしかに,労働者は,従前は男性として,男性の容姿をしてS社に就労していたが,1月22日,S社に対し,初めて女性の容姿をして就労すること等を認めるように求める本件申出をし,3月4日,本件申出がS社から承認されなかった後に最初に出社した日,突然,女性の容姿をして出社し,配転先である製作部製作課に現れたのであり,S社社員が労働者のこのような行動を全く予期していなかったであろうことを考えると,S社社員(特に人事担当者や配転先である製作部製作課の社員)は,女性の容姿をした労働者を見聞きして,ショックを受け,強い違和感を抱いたものと認められる。
 そして,S社社員の多くが,当時,労働者がこのような行動をするに至った理由をほとんど認識していなかったであろうことに加え,一般に,身体上の性と異なる性の容姿をする者に対し,その当否はさておき,興味本位で見たり,嫌悪感を抱いたりする者が相当数存すること,性同一性障害者の存在,同障害の症例及び対処方法について,医学的見地から専門的に検討され,これに関する情報が一般に提供されるようになったのが,最近になってからであることに照らすと,S社社員のうち相当数が,女性の容姿をして就労しようとする労働者に対し,嫌悪感を抱いたものと認められる。
 また,S社の取引先や顧客のうち相当数が,女性の容姿をした労働者を見て違和感を抱き,労働者が従前に男性として就労していたことを知り,労働者に対し嫌悪感を抱くおそれがあることは認められる。
 さらに,一般に,労働者が使用者に対し,従前と異なる性の容姿をすることを認めてほしいと申し出ることが極めて稀であること,本件申出が,専ら労働者側の事情に基づくものである上,S社及びその社員に配慮を求めるものであることを考えると,S社が,労働者の行動による社内外への影響を憂慮し,当面の混乱を避けるために,労働者に対して女性の容姿をして就労しないよう求めること自体は,一応理由があるといえる。」
「しかし,労働者が,・・・性同一性障害(性転換症)との診断を受け,精神療法等の治療を受けていること,・・・妻との調停離婚が成立したこと,・・・医師が作成した・・・診断書において,労働者について,女性としての性自認が確立しており,今後変化することもないと思われる,職場以外において女性装による生活状態に入っている旨記載されていること,労働者が,同年7月2日,家庭裁判所の許可を受けて,戸籍上の名を通常,男性名である「●●」から,女性名とも読める「●●」に変更したことは,・・・のとおりである。
 そして,疎明資料によれば,性同一性障害(性転換症)は,生物学的には自分の身体がどちらの性に属しているかを認識しながら,人格的には別の性に属していると確信し,日常生活においても別の性の役割を果たし,別の性になろうという状態をいい,医学的にも承認されつつある概念であることが認められ,また,疎明資料によれば,労働者が,幼少のころから男性として生活し,成長することに強い違和感を覚え,次第に女性としての自己を自覚するようになったこと,労働者は,性同一性障害として精神科で医師の診療を受け,ホルモン療法を受けたことから,精神的,肉体的に女性化が進み,平成13年12月ころには,男性の容姿をしてS社で就労することが精神,肉体の両面において次第に困難になっていたことが認められる。
 これらによれば,労働者は,本件申出をした当時には,性同一性障害(性転換症)として,精神的,肉体的に女性として行動することを強く求めており,他者から男性としての行動を要求され又は女性としての行動を抑制されると,多大な精神的苦痛を被る状態にあったということができる
 そして,このことに照らすと,労働者がS社に対し,女性の容姿をして就労することを認め,これに伴う配慮をしてほしいと求めることは,相応の理由があるものといえる。」
「このような労働者の事情を踏まえて,S社の前記主張について検討すると,S社社員が労働者に抱いた違和感及び嫌悪感は、・・・に照らすと,労働者における上記事情を認識し,理解するよう図ることにより,時間の経過も相まって緩和する余地が十分あるものといえる。また,S社の取引先や顧客が労働者に抱き又は抱くおそれのある違和感及び嫌悪感については,S社の業務遂行上著しい支障を来すおそれがあるとまで認めるに足りる的確な疎明はない。
 のみならず,S社は,労働者に対し,本件申出を受けた1月22日からこれを承認しないと回答した2月14日までの間に,本件申出について何らかの対応をし,また,この回答をした際にその具体的理由を説明しようとしたとは認められない上,その後の経緯に照らすと,労働者の性同一性障害に関する事情を理解し,本件申出に関する労働者の意向を反映しようとする姿勢を有していたとも認められない。 

 そして,S社において,労働者の業務内容,就労環境等について,本件申出に基づき,S社,労働者双方の事情を踏まえた適切な配慮をした場合においても,なお,女性の容姿をした労働者を就労させることが,S社における企業秩序又は業務遂行において,著しい支障を来すと認めるに足りる疎明はない。」
「以上によれば,労働者による本件服務命令違反行為は,・・・懲戒解雇に相当するまで重大かつ悪質な企業秩序違反であると認めることはできない。
 よって,解雇事由〔5〕は,懲戒解雇の相当性を認めさせるものではない。」
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【コメント】

この裁判例は、10年以上前のものであるところ、LGBTないしセクシュアル・マイノリティに対する認識が広がってきた現在では、①「S社社員のうち相当数が,女性の容姿をして就労しようとする労働者に対し,嫌悪感を抱いたものと認められる。」②「S社の取引先や顧客のうち相当数が,女性の容姿をした労働者を見て違和感を抱き,労働者が従前に男性として就労していたことを知り,労働者に対し嫌悪感を抱くおそれがあることは認められる。」③「当面の混乱を避けるために,労働者に対して女性の容姿をして就労しないよう求めること自体は,一応理由があるといえる」等の部分について、よりLGBTへの配慮を求める方向での判断がされる可能性があると考えられます。LGBTないしセクシュアル・マイノリティについての理解を深め、従業員への教育を含め、適切な対応を検討していく必要があると考えられます。

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