現代の企業経営において、障害を抱えた従業員と共に働く環境づくりは必要不可欠です。しかし、それに伴い「従業員のセンシティブな個人情報を社内でどう扱うべきか」というプライバシー管理の重要性も急激に高まっています。
令和8年1月29日、横浜地裁である注目すべき判決(J社事件)が下されました。それは、「社長が他の従業員に対し、ある従業員が発達障害(広汎性発達障害)であることを暴露した行為」に対し、裁判所が明確に違法性を認め、損害賠償(慰謝料)の支払いを命じた事例です。
本記事では、この最新裁判例を基に、パワハラ指針における「個の侵害」の定義や、なぜ会社側の主張が退けられたのか、そして企業が取るべき具体的な対応策を弁護士が分かりやすく解説します。

この記事を書いた人
弁護士田村裕一郎
弁護士歴20年超。四大事務所で培った訴訟対応力で、深刻な労働紛争や企業法務トラブルを解決してきた実績を持つ。執筆やセミナー講師など多数。
第1 パワハラ指針における「個の侵害」とは?
今回の裁判で大きな論点となったのが、人格権侵害か、です。
この点については、裁判例では直接の言及はありませんが、いわゆるパワハラ防止法(労働施策総合推進法)の指針に定められている「個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)」に注目すべきです。 厚生労働省の指針では、以下の行為が「個の侵害」に該当する典型例として挙げられています。
• 労働者を職場外でも継続的に監視したり、私物の写真撮影をしたりすること。
• 労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に暴露(アウティング)すること。
発達障害をはじめとする精神障害や病歴などの情報は、個人情報の中でも特に取扱いに注意を要する「機微な個人情報」にあたると考えるべきであり、企業としては、これを前提として経営すべきと、当職は考えます。本人の同意なくこれらを周囲に言い広める行為は、「個の侵害(パワハラ)」と判断されるリスクが高いです。
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第2 裁判例(J社事件)の概要と、裁判所が「違法」と判断した理由
事件の経緯
採用時: 従業員(原告)は、広汎性発達障害の診断を受けていたが、面接時にはその事実を告げずに採用された。
(採用後数年経過した後の)面談時: その後、労働時間等の調整に関する代表者との面談の席で、従業員自ら「実は私は広汎性発達障害を持っているので……」と明かした。
暴露: 翌日、代表者はサービス提供責任者ら(複数名)に対し、メールで「(原告が)発達障害を持っている」「虚偽の申告があったため即刻解雇したい」といった内容を送信した。
会社側の主張
会社側は、「原告を解雇することを決定する意思表示の過程(プロセス)として、現場に関わるサービス提供責任者へ伝える必要性(業務上の正当性)があった」といった趣旨の主張を行いました。
裁判所が下した判断
裁判所は、会社側の主張を以下の2つの理由から完全に退けました。
理由①:意思決定のプロセスではない
代表者が送ったメールには「即時解雇をと思います」と一方的に記載されており、現場の職員と解雇について協議・相談した形跡はなかった。つまり、情報共有は「一緒に決めるため」ではなく、単なる「事後報告(暴露)」であったと判断されました。
理由②:障害の事実まで伝える必要性はなかった
仮に解雇の事実を現場に伝える必要があったとしても、「その理由が発達障害であること」まで伝える必要性はないとされました。現に、同じ役職の別の社員には理由が伏せられていたこともあり、業務上の必要性は認められませんでした。
結論
裁判所は、代表者の行為を「正当な理由がないのに発達障害であることの暴露した行為であり、原告の人格権を侵害する違法なものである」と認め、会社に対して30万円の損害賠償(慰謝料)の支払いを命じました。
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第3 企業が取るべき3つのプライバシー対応策
今回の事例は、「悪気はなかった」「業務を円滑に回すための共有だった」という社長や管理職の言い分(主張)が、裁判では一切通用しないことを示しています。企業がこうしたアウティングのリスクを防ぐためには、以下の3つのステップでルールを徹底する必要があります。
⑴ 情報の取得:取得者の範囲を限定する
⑵ 情報の管理:管理者を限定し、他データと区別する
⑶ 情報の廃棄:不要になったら速やかに廃棄
⑴ 情報の取得:取得者の範囲を限定する
従業員から病歴や障害の事実を聞き取る(または書類で提出してもらう)際は、社内の誰でもアクセスできる状態にしてはいけません。情報を直接受け取る担当者(人事責任者や経営陣など)の範囲をはじめから最小限に絞り込んでおきます。
⑵ 情報の管理:管理者を限定し、他データと区別する
まず管理者を限定した上で、守秘義務を徹底すべきです。また、人事労務データのなかに、一般の個人情報(住所や連絡先など)と一緒に障害や病歴のデータを保管するのは危険です。 さらに、万が一情報が漏洩してしまった場合の危機管理フローをあらかじめ策定しておくことも重要です。
⑶ 情報の廃棄:不要になったら速やかに廃棄
法的な保存義務期間が経過したものや、業務上の必要性が完全になくなったセンシティブ情報については、期間経過後に適切な方法で速やかに廃棄・消去するルールを設けてください。
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第4 まとめ:ルール作成と社内研修による「周知」が不可欠
従業員の障害や病歴といったデリケートな情報は、社長一人の判断で「良かれと思って」共有して良いものではありません。
トラブルを未然に防ぐためには、
• 機微な個人情報の取扱規程(社内ルール)を作成する
• 経営陣・管理職に対して定期的な研修を行い、正しい知識を周知する という組織的なアプローチが必須となります。
「自社の情報管理体制に不安がある」「どのような社内規程を作ればいいか分からない」という経営者・人事担当者の方は、取り返しのつかない労務トラブルに発展する前に、ぜひ一度、外部専門家(社労士や弁護士など)にご相談ください。
社労士の先生へ: 当事務所は、社労士先生との顧問契約【社労士先生からのご質問に、当事務所弁護士が回答するための月額顧問契約】も多数ございます。まずはお気軽にメール(mo@tamura-law.com)又はお電話(03-6272-5922)にてご相談ください。


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