①(労務×医療×定額残業代)医師の定額残業代は無効であり、使用者に割増賃金及び付加金の支払義務があると判断された例(医療法人社団Y会(差戻審)事件・東京高判平成30年2月22日)
【判例】
事件名:医療法人社団Y会(差戻審)事件
判決日:東京高判平成30年2月22日
【事案の概要】
医療法人社団Y会(被控訴人)が運営する本件病院に勤務していた医師X(控訴人)が、被控訴人に対し、時間外労働等に対する割増賃金及びこれに係る付加金の支払等を求めた。Y会とXの間で、時間外労働等に対する割増賃金は、Xの年俸1700万円に含める旨の合意(以下「本件合意」という。)がなされていたことから、割増賃金が支払い済みであるかが争われた。なお、上告審(最判平成29年7月7日)は、年俸の支払いによっては、Xの時間外労働等に対する割増賃金が支払われていたとはいえないと判断し、本件を原審に差し戻した。本件は、その差戻審にあたる。
【判旨(「」内は判旨の一部抜粋。)】
1 労働時間について
(1) 開始時刻について
「雇用契約における被控訴人の事業時刻は午前8時30分であるから、労働時間の開始時刻は原則として午前8時30分と認めるのが相当である。」
ただし、「被控訴人病院においては、毎月第1又は第2月曜日に午前8時5分か10分から朝礼があり、医師も出席を指示されていた」ことから、「同朝礼への出席は業務指示に基づくものと認められる。そこで、原則として第1月曜日」などは、「午前8時を労働時間の開始時刻と認める。」
(2) 終了時刻について
「医師としての業務の性質からすれば、被控訴人の明示の指示がなくても、患者の診療等のために終業時刻を超えて業務をする必要性が生じることは明らかであるから、控訴人の労働時間の終了時刻については、退勤時刻とする。」
(3) 退勤時刻の認定について
「控訴人の退勤時刻は、静脈未承認記載簿により認め、静脈未承認記載簿に退勤時刻の記載がないが、出勤したと認められるときは、原則として、午後5時30分まで勤務したと認め、ログインの記録が午後5時30分以降である場合には、その時刻まで勤務したと認めるのが相当である。なお、当直を行った場合は、32時30分まで勤務したとし、引き続き就業した場合には、翌日午前8時30分から勤務を開始したとするのが相当である。」
(4) 控訴人の労働時間の認定(注は筆者の加筆)
「本件病院における医師としての控訴人の」「時間外の労働時間は289時間6分(289.10時間)であると認められる。」
2 時間外の労働時間に対する割増賃金額
「時間外の労働時間に対する基礎時給額算出の基となる賃金は、月額120万1000円(役付手当、職務手当、調整手当を含む。)であり」、「所定労働時間の月平均時間が162時間40分(162.67時間)であることは争いがないから、基礎時給額は7383円となる。」
「これを基礎として、前記時間外の労働時間に対する割増賃金を算出すると」「合計407万5170円となる。」
3 本件合意による割増賃金の支払いについて
(1) 判断枠組
「労働基準法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される(最高裁昭和44年(行ツ)第26号同47年4月6日第一小法廷判決・民集26巻3号397頁参照)。
また、割増賃金の算定方法は、同条並びに政令及び厚生労働省令の関係規定(以下、これらの規定を「労働基準法37条等」という。)に具体的に定められているところ、同条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものと解され、労働者に支払われる基本給や諸手当(以下「基本給等」という。)にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではない。
他方において、使用者が労働者に対して労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条等により定められた方法により算出された割増賃金の額を下回らないか否かを検討することになるところ、同条の上記趣旨によれば、割増賃金をあらかじめ基本給等に含める方法で支払う場合においては、上記の検討の前提として、労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要であり(最高裁平成3年(オ)第63号同6年6月13日第二小法廷判決・裁判集民事172号673頁、最高裁平成21年(受)第1186号同24年3月8日第一小法廷判決・裁判集民事240号121頁、最高裁平成27年(受)第1998号同29年2月28日第三小法廷判決・裁判所時報1671号5頁参照)、上記割増賃金に当たる部分の金額が労働基準法37条等に定められた方法により算出された割増賃金の額を下回るときは、使用者がその差額を労働者に支払う義務を負うというべきである(上告審判決)。」
(2) あてはめ
本件においては、「時間外規程に基づき支払われるもの以外の時間外労働等に対する割増賃金を年俸1700万円に含める旨の本件合意がされていたものの、このうち時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかった。」「そうすると、本件合意によっては、控訴人に支払われた賃金のうち時間外労働等に対する割増賃金として支払われた金額を確定することすらできないのであり、控訴人に支払われた年俸について、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない。」
「したがって、被控訴人の控訴人に対する年俸の支払により、控訴人の時間外労働及び深夜労働に対する割増賃金が支払われたということはできない(上告審判決)。」
4 割増賃金の一部弁済について
「控訴人の割増賃金のうち合計134万3525円が弁済されたことは争いがないから、その残額は273万1645円となる。」
5 付加金請求について
「原判決において、時間外の労働時間が323時間23分(323.38時間)と認定され、差戻し前の控訴審判決においても、この認定は維持されたこと、上告審判決において、被控訴人の控訴人に対する年俸の支払により、控訴人の時間外労働及び深夜労働に対する割増賃金が支払われたということはできないとされたのであるから、被控訴人は、割増賃金の額が相当額に上り、その支払を命じられる可能性が高いことを十分に認識することができたことなど、本件に顕れた事情を考慮すれば、被控訴人に対し、付加金として割増賃金の残額と同額である273万1645円の支払を命ずるのが相当である。」
6 本件合意の解釈について
被控訴人は、本件合意について「合理的に解釈すると、年間法定労働時間分の労働の対価と年間出勤日の午後5時30分から午後9時までの時間外労働の対価として合意したものと」解釈でき、「通常の労働時間の賃金部分と年間出勤日の午後5時30分から午後9時までの時間外労働の割増賃金部分を容易に算定することができるから、」本件合意に基づく「年俸の支払によって、控訴人の上記時間外労働の割増賃金は、支払済みと評価されるべきである」と主張する。
しかし、控訴人被控訴人間の雇用契約書や時間外規程には、「年間法定労働時間分の労働の対価と年間出勤日の午後5時30分から午後9時までの時間外労働の対価の対応関係を示す記載はなく、また、被控訴人が控訴人にそのような説明をしたこともない」ため、本件合意について、被控訴人の主張する解釈をすることはできない。
7 結論
本判決は、上記の判断に基づき、被控訴人に対し、控訴人への、割増賃金273万1645円及び付加金273万1645円等の支払を命じた。
【コメント】
本事件は、医師の定額残業代の有効性(年俸に時間外労働等の割増賃金を含める合意の有効性等)が争われた事件です。
本事件につき、差戻前の第一審判決は、医師の特殊性を考慮し、定額残業代を一部有効と判断しました(差戻前の控訴審判決も同様の判断をしております)。これに対し、上告審(最高裁)は、このような医師の特殊性を考慮した控訴審の判断を破棄し、従来の定額残業代の有効性に関する裁判例に沿った判断をしております。
本判決は、上告審(最高裁)の判断枠組みに沿って、医師の実労働時間数を認定した上で、未払割増賃金として273万1645円の請求を認容しました。
実労働時間数の認定にあたって、本判決は、医師の業務の性質からして、使用者の明示の指示がなくとも所定終業時刻を超えて業務をする必要性が生じることは明らかであるとして、退勤時刻がそのまま労働終了時刻である、と判断しました。また、退勤時刻の認定にあたっては、医師が作成していた「静脈未承認記載簿」に基づいた認定を行っており、電子カルテのログイン・ログアウト記録は、「静脈未承認記載簿」の記載よりも、労働時間に関する推認力は乏しいと認定されていることが、特徴的です。
② (労務×定年後再雇用×同一労働同一賃金)定年再雇用に基づく賃金の引き下げが違法ではないと判断された例(学究社事件・東京地立川支判平成30年1月29日)
【判例】
事件名:学究社事件
判決日:東京地立川支判平成30年1月29日
【事案の概要】
被告が運営する進学塾に正社員として勤務した後、定年退職後に被告に再雇用された原告が、再雇用期間の労働条件については定年退職前と同一の労働条件が適用されるなどと主張し、未払賃金等の支払を求めた事案である。
【判旨】(「」内は判旨の一部抜粋)
1 再雇用期間の労働条件の内容及び法違反の有無
(1) 再雇用期間の労働条件を、従前の労働条件とする旨の合意の成否
本判決は、「原告と被告との間の再雇用契約は、それまでの雇用関係を消滅させ、退職の手続をとった上で、新たな雇用契約を締結するという性質のものである以上」、「その契約内容は双方の合意によって定められるものである。そして、被告における再雇用契約制度は、その制度上、会社が示した雇用条件に再雇用契約者が同意する場合に同契約が締結されるものとされている。被告は、原告に対し、再雇用後については給与が定年退職前の30パーセントから40パーセント前後になることを説明し、再雇用後の賃金額が集団指導(通常の授業)50分につき3000円の単価となる旨記載された契約書を交付した上で、同契約書に基づき原告に対し給与を支払っていることからすれば、被告に、原告との再雇用契約締結時、原告が主張する原告の定年退職前との労働条件を前提とした再雇用契約を締結する意思がなかったことは明らかであ」り、原告についても、「再雇用契約締結の時点においては,定年退職前と同一の労働条件でなければ勤務できないと説明したとは認めることができない。」から、「原告と被告との間に,原告が主張する労働条件での合意が成立したとは認められず,上記原告の主張は採用できない。」
(2) 解雇権濫用法理の類推適用、権利の濫用、高年法の趣旨違反の有無
本判決は、「被告が提示する再雇用契約の労働条件をみても、その賃金額は50分につき3000円の単価であり、到底容認できないような低額の給与水準であるとまでは認めることはできない上、その余の労働条件についても、他の時間講師と同様であって、労働者にとって到底受入れ難いような内容であるとまでは認められない」として、解雇権濫用法理の類推適用、権利の濫用、高年法の趣旨違反の主張は排斥した。
(3) 労働契約法20条違反の有無
本判決は、労働契約法20条違反の有無につき、以下のとおり判断した。
「原告は、定年前は専任講師であったのに対し、定年後の再雇用においては時間講師であり、その権利義務には相違があること、勤務内容についてみても、再雇用契約に基づく時間講師としての勤務は、原則として授業のみを担当するものであり、例外的に上司の指示がある場合に父母面談や入試応援などを含む生徒・保護者への対応を行い、担当した授業のコマ数ないし実施した内容により、事務給(時給換算)が支給されるものであることが認められる。そうだとすれば、定年退職前は、正社員として、被告が採用する変形労働時間制に基づき定められた各日の所定労働時間の間労働することが義務付けられ、その間に授業だけでなく生徒・保護者への対応、研修会等への出席等が義務付けられているのに対し、再雇用契約締結後は、時間講師として、被告が採用する変形労働時間制の適用はなく、原則は、被告から割り当てられた授業のみを担当するものであり、両者の間には、その業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度に差があると言わざるを得ない。
また、本件の再雇用契約は、高年法9条1項2号の定年後の継続雇用制度に該当するものであり、定年後継続雇用者の賃金を定年退職前より引き下げることは、一般的に不合理であるとはいえない。
よって、被告における定年退職後の再雇用契約と定年退職前の契約の相違は、労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して不合理であるとはいえず、労働契約法20条に違反するとは認められない。」
(4) 労働契約法3条1項の類推適用の可否
本判決は、「労働者である原告が帰責性なくこれまでの労働条件が継続することを信じている状況において、使用者が労働条件を一方的に変更すること」は労働契約法3条1項の類推適用により無効であると原告は主張しているが、 「原告と被告との間の再雇用契約は定年退職に伴う新たな契約であることからすれば、労働契約の一方的な変更とはいえないし、」「再雇用契約の内容も不合理なものであるとはいえないので、原告の主張は採用できない。」と判断した。
2 結論
本判決は、上記の判断に基づき、再雇用契約に基づく未払賃金請求については棄却した(定年退職前の未払賃金等については、原告の請求を一部認容した。)。
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【コメント】
本判決は、定年再雇用後の賃金額が、定年退職前の正社員の賃金の30パーセントから40パーセント前後となる労働条件について、労契法20条や高年法の趣旨に違反しないと判断しました。
まず、本判決は、労契法20条違反の有無について、定年前の正社員と定年後再雇用者との間には、専任講師か時間講師かによる権利義務の相違があること、勤務内容が授業のほかに生徒・保護者への対応や研修会等への出席が義務付けられているか否かに相違があること、変形労働時間制の適用があるか否かに相違があることなどから、業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度に差があると認定し、労契法20条に違反しないと判断しました(本判決において、定年後再雇用者の賃金を定年退職前より引き下げることが一般的に不合理であるとはいえないと判断されている点も、注目に値します。)。
また、本判決は、高年法の趣旨違反の有無について、「到底容認できないような低額の給与水準」とまではいえず、高年法の趣旨には違反しないと判断しており、定年後再雇用者の賃金の引き下げがどこまで可能かという点に関し、参考になる裁判例です。
このように、本判決は、定年後再雇用の労働条件の決定において留意すべき二つの問題点をクリアした裁判例ですので、ご紹介します。
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